保険の専門家 / 独立系ファイナンシャルプランナー

プロフィール 阿部峻也 / Shunya Abe

阿部 峻也
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アベシュンヤ_プロフィール
この記事を書いている人 - WRITER -
阿部 峻也
◆会社名 株式会社Map FINANCIAL / 執行役員
◆資格 TLC(生命保険協会認定FP)

◆生年月日 1988年11月10日生まれ
◆血液型 A型
◆出身地 岩手県盛岡市(生まれは長野県松本市)
◆出身校 法政大学社会学部社会学科
◆経歴 タカラスタンダード株式会社ープルデンシャル生命保険株式会社ー現職

◆座右の銘
『小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、 大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす』
徳川将軍家 兵法指南役 柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)(柳生新陰流)
◆参考本
インザブラック(経営)
ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集(哲学)
7つの習慣(哲学)

詳しいプロフィールはこちら

阿部峻也 / Shunya Abe のプロフィール

会社名 株式会社Map FINANCIAL / 執行役員
資格 生命保険協会認定FP
生年月日 1988年11月10日生まれ
血液型 A型
出身地 岩手県盛岡市(生まれは長野県松本市)
出身校 法政大学社会学部社会学科
経歴 タカラスタンダード株式会社➡プルデンシャル生命保険株式会社➡現職

劣等感に苦しんだ子供時代

アベシュンヤ_プロフィール

出身は岩手県盛岡市(生まれは長野県松本市)で、父、母、兄、弟の5人家族です。
会社員の父、看護師の母、一般的な家庭で育ちました。

私は小学校から勉強もスポーツも同級生に比べて得意な方でしたが、兄と弟は私以上で、例えば運動会のリレーではアンカーに選ばれたり、勉強では成績表オール5とか、期末テストは学年5位以内とか、なかなかのハイレベルでした。(笑)

そのため、子供の頃はいつも兄弟と比べて劣等感を抱いていました。
母親も厳しかったため、褒められた記憶より怒られた記憶のほうが多く、中学生になると反抗期全開、体育祭前日に飲酒して登校して警察のお世話になったり、家出をしたり、ややグレました。(笑)
劣等感に加えて、自分ってなんだんだろう?と自己肯定感の低いような子供だったかもしれないです。

兄は県内で一番賢い高校に校内で唯一推薦合格しました。
私は兄に負けたくない一心で同じ高校を受験するも私自身はしっかり落ち、たまたま二次募集していた高校に進学し、この後、弟は私が落ちた高校(兄と同じ高校)に合格しました。

兄弟が合格した高校に私だけ落ちたこと、同じ親から生まれたのに自分の能力は劣っているとハッキリ認識した出来事でした。

 

高校野球の経験から得たもの

 

高校受験に失敗した時に父親から、

「人生思い通りにいかないこともあるが、決めた道で努力して、結果振り返った時に「良かった」と、正解にする力のほうが大切だから」

と励まされました。父親の言葉に少し助けられ、進学した高校で勉強もスポーツも一生懸命頑張ると決めました。

高校も野球部に所属し、家から学校の往復で4時間かかるような距離でしたので、ある時期は下宿をしたり、ある時期は新幹線通学をしていました。毎日帰宅は24時を超えて、朝は5時起き、毎日の通勤車内では宿題を片付け、文武両道を目指していました。

そして、高校生活で1つだけ兄弟には無い経験をすることができました。
それは、野球で自分の代に県大会優勝できたことです。当時、「初めて兄弟に勝った!」と思えた瞬間であり、
「腐らずに頑張ってたら、いいことあるもんだな」と感じたことをよく覚えています。

 

大学入学、涙することになった就活

 

高校生活は大半の時間を野球に捧げながらも学校の成績はそれなりにキープできていたため、大学は指定校推薦で法政大学社会学部へ入学。(当時の先生に感謝です。)

野球を辞めて普通の大学生活が送りたい、結果アルバイトを頑張り、そのお金でただただ遊び呆けました。
留年はしませんでしたが、一生付き合える友達ができたこと、肝臓が鍛えられた以外に得たものは無かったように思います。(笑)

案の定、就職活動は武器無しで苦労することになりました。

父親が大手企業子会社の会社員で、会社の母体と子会社の関係性(天下りとか)を知っていたり、兄は有名な食品メーカーに入社したこともあり、誰でも知ってるような超大手企業ばかりを受けていました。リーマンショック後の就職氷河期だったと言い訳したいところですが、周りの友達が希望の会社に内定する中で、私は希望の会社に全落ちして取り残されました。

このときは実力不足だと理解しながらも、腐りに腐りました。

そしてようやく、同じように就活に苦戦していた友人に「ここまだ募集してるから受けてみよーぜ」と誘われてテキトーに受けた会社から初の内定。確かに上場企業でしたが、業界はキッチン等の水回りの住宅設備機器メーカー、自分が目指した超大手企業とは程遠い知名度と低年収で、全く選択肢に無い会社でした…。
ただ同時に、就活を続ける精神的なスタミナはとっくに切れていて、どうしようかと悩んだ挙句、両親と話すことに。

居酒屋で両親を話し、自分でもビックリだったんですが、人目を憚らずに「就活こんなはずじゃなかった、こんな会社に行きたくない」と号泣しました。(笑)

そんな私に父親が言葉を投げかけてきました。

「お前が行きたくない会社でも、今のお前では実力不足だから活躍できないと思うよ。行きたくない会社で、自分が認めてもない会社で結果を出してみろ!」

「まあ確かにその通りかもしれない、まずは社会人経験を積むか」と思った私は、現実を受け入れてその会社に入社することを決意しました。

 

最悪の社会人生活スタート

アベシュンヤ_プロフィール

2011年春に某住宅設備機器メーカーに新卒入社。

当時は東日本大震災直後だったので、住宅や建設業界は震災バブルで、鬼のような忙しさでした。私が勤めた会社は、業界内で唯一工場が全国に分散されていて生産機能が停止しなかったため、受注が集中し、社内はもうてんやわんや。(その年に過去最高益)忙しすぎて常に人手が足りない、しかも同じタイミングで同じ営業所の先輩が退職することにあり、まだ何も知らない時に担当を引継がれました。

すると、当然のことながら(キッチンの発注の仕方すらわからない状態だったし、図面の見方もわからない)、僕自身がトラブルを起こしまくります。社内の人は忙しそうだし、誰に聞いていいのかわからないので、わからないものをそのままにしてしまう。入社当時は、この会社を辞める頃には20分で終わらせることができるようになってた事務作業に、約1週間かけて取り組んでいました。

結果、自分の仕事が遅い上にミスも連発し、「遊びじゃねんだぞ!?」と取引先に怒鳴られ、どんどんお客さんが離れていく。メインの得意先は9割のシェアを占めていましたが、私に代わってから2割まで減ってしまいました。

 

切羽詰まって、仕事を放置し続けた結果…

 

この時期に、「発注された時点で納期が間に合わない」という案件が入りました。通常なら発注から納入まで1か月はかかるのに、発注が来た時点でもう納入の1週間前。
このとき私は、「え、無理」と思い、完全にお手上げだったので、
「うん、これ一回放置してみよう、上司とか工事担当とか誰か先輩が気付いてやってくれるんじゃないか、しらばっくれよう」
と、その案件を放置プレイすることにしました。(笑)
すると当然、各所からの電話が鳴りやまない。

でも私は、「発注書がまだ来てないんです」と、嘘を貫き通していました。当時の私はすごい神経をしていたと今では思います。(笑)でも、もちろん発注したという履歴が残っているし、嘘はバレます。

そして、何度も電話が来て無視していた現場監督から
「お前、ふざけんじゃねえぞ!?ぶっ殺すぞ!!!!!今すぐ現場に来い!!!!!これが最後だからな!!!!!」
と、最終通告の電話がかかってきたんです。(笑)

そのとき、「これはもうダメだ……オワタ」と思った私は、全てを受け入れる覚悟を固め、その現場はたしか茨城県だったんですが、その日のアポを全てキャンセルし、ブルブル震えながら3時間かけて現場に向かいました。

 

自ら行動を起こすことの大切さ

 

現場に到着、現場監督にぶん殴られるつもりで、即座に土下座をしました。

すると、意外にも現場監督が、

「まあ、お前よく来たな。ちゃんと顔出して謝りに来たんなら許してやる。もういいよ。」

と、案件を放っておいた私のことを許してくれました。

結局、それから現場監督が全部調整をしてくれて、納入までの期限も無事に延期され、なんとか丸く収まることになります。

現場監督に謝ったと同時に上司にも「爆発した案件を黙って放置していました、助けて下さい」と謝罪と相談をしたわけですが、そこから上司もブチ切れながら社内で1か月かかる納期を工場に交渉して1週間に短縮してくれ、結果社内外の人に同時に助けられました。

このときの私は、「新人でなんにもわからないから、黙ってても誰かがなんとかしてくれるんじゃないか?」って甘く考えていました。でも、そんなわけなく、どうにもならなくなってしまった。自ら行動を起こし、勇気を出して「助けてください」と声を上げれば、周りの誰かが手を差し伸べてくれるということを理解しました。

 

人間関係で大切なこと

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それから、「このままじゃいけない、変わりたい、できるビジネスマンになりたい」と意を決して、上司にも取引先にも頭を下げて、「恥ずかしいですが何もわからないので、迷惑かけないために一から教えてください!」と教えを請うようになりました。すると、社内外でも手を貸してくれる人が次々に出てきて、徐々に仕事もできるようになりました。

仕事も人間同士、格好つけずに「ありがとう」「ごめんなさい」「お願いします」を誠実に伝えること、これが最も大切だってことをこの時期に学びました。

結局、新人の頃に2割まで減ったシェアも、2年目には9割に戻すことができました。

 

稼げないことへの不満

 

社会人3年目には仕事も慣れて、売り上げも伸ばしながらハードに働いてたんですが、それでも一つ悩みがありました。

それは会社の待遇と周りの友達との差。

毎朝7時に出社して帰りは終電くらい、土日もよく出社してたけど残業代も出ないし、手取りも安い、ボーナスも差がつかない

大学の友人と飲んだときは必ず「今、いくら稼いでるの?」という話になり、

「電通にいったアイツは手取り●●万だって」みたいな情報が入るんです。

「なんで一緒にバカやってたアイツと俺にこんなに差があるのか」と、他人を羨む気持ちと自己嫌悪で苛ついてしまう。

初対面の人に会社を名乗るのが嫌で、合コンでは勤め先は嘘をついていました。悲しいことに周りの友達もそれに合わせてくれる。それでも、終わった後で一人虚しくなる。(笑)

このとき、お金は稼げないのに激務で、自分を誇れない状況を何とかしたいっていう気持ちがフツフツと煮えたぎっていました。

 

プルデンシャル生命に転職したキッカケ

 

「周りの友人との経済格差を埋めて、社会人としての自分に誇りを持ちたい!」という思いを抱きながら働いていた3年目。このときに転機が訪れます。

 

当時慕っていた先輩に、プルデンシャル生命のスカウトから転職のオファーが来て、その懇親の飲み会の席に僕も同席することになりました。
そのとき、自分が身を置く泥臭い現場工事の絡む住宅設備の業界とは異なる、外資系金融で高級なスーツを着て都心でバリバリ働く真逆の世界を目の当たりにして、鮮烈な衝撃を受けました。(今思うと保険の仕事も泥臭いっす。)

「なにこの人たち!!なにこの世界!!」と。

マネージャー「阿部ちゃんの年収を月収でもらっている人なんてうちにはザラにいるよ」

自分「!?!?!?うそでしょ!?俺は何年ここで働いてもそれは無理だな…」

と、衝撃と落胆の連続。

 

そして、悔しい一言を放たれることになります。

「今不満タラタラで自分に誇りも持てなくて、なんとなく仕事してるなら、一生そんな(中途半端な)人生になるよ」

これが、すごく自分の胸に突き刺さりました。「不満ばかり言ってる自分、だせえな」と。

 

それからプルデンシャル生命が頭から離れなくなり、時間があればプルデンシャル生命のことを調べていました。この会社で働きたくなった私は、スカウトの方にお願いしてなんとか面接を受けさせてもらい、合格。(プルデンシャルでは志願兵と言います( ゚Д゚))
これが現在の仕事につながる、人生の大きな転機になりました。ちなみによく「なんで保険に?」聞かれますが、正直生命保険の仕事がやりたいわけではなかったです。(笑)

 

順調に上手くいった1年目

 

入社して一ヶ月後には営業が始まりました。最初は自分の知り合い全てにテレアポをすることから始まります。

「保険会社に転職したから話を聞いてほしい。」(声震えてました。)

快い返事をしてくれる人もいれば、電話を取ってくれなくなる人もいる。それでも、優しい友人や前職の同期や先輩後輩、前職の取引先にも恵まれていたので、初月は支社のギネス記録を更新して45件、1年目は成績優秀者が行けるハワイ表彰に行けました。プルデンシャルでは年に1回、表彰基準を満たした上位1割がハワイで表彰されるんですが、それに1年目は行けたんです。

 

ただ、なりふり構わず猪突猛進で営業をしていたので、いろんな人と連絡が取れなくなりました。
何度も電話するとか、勝手に紹介先に連絡するとか、何時間もクロージングをするとか、周りが見えていないから馬鹿みたいにゴリゴリやり過ぎました。(笑)
当然、こういうやり方をしていたので紹介なんて一切出ません。

貯金と案件が枯渇し、死の2年目を迎えることになります。

 

成績不振で会社にも行けなくなった2年目

アベシュンヤ_プロフィール

2年目には商談相手も、電話のかけ先もなくなってしまったんです。

プルデンシャルでは当時1週間に3件の契約を取る【3W=success(成功)】という社内文化があり、新人は至上命題。でも、商談相手もいないから契約0件になりそうになると週末にマネージャーから「今週はどうすんの?諦めるの?」的な電話がありました。月曜日の挙績報告で皆の前で先週の報告をするのですが、「●件です」と契約があれば拍手喝采、「0件です」って言うとみんなシーンってなるんです。

シーンって屈辱を、1年の大半は味わっていました。

もちろん、2年目はハワイ表彰には参加できず。

また、最初の2年間が研修期間で、その後は完全歩合制。売れている人だったら2年間の売上に対してストックでボーナスが溜まっていき、2年満了時点で一気にポンと吐き出されます。人によって数百万円〜数千万円まで。でも、僕の2年目の成績は散々。しかも仕事も無いので現実逃避?(一応お客さん探し?)で仲間達とお酒を飲みまくっていたので、借金も膨らんでいきました。( ゚Д゚) 「え、2年終了してボーナスもらっても借金返したらなくなるやん!」っていう恐ろしい状況。

 

当時のマネージャーからは、

「2年連続でハワイ表彰行けないやつは数年以内にみんな退職してるんだよね、阿部ちゃんまだ若いから2年連続行けなかったら早く見切りをつけてこの仕事を辞めたほうやめたほうがいいよ」

と転職時に言われていたので、もうこのときは、就活のときよりはるかに鬱でした。(笑)

1年目は表彰されてFacebookなんかにも自慢げに投稿して、周りから「阿部成功してるやん!」と見られていたので、見栄張ってしまってこの状況を誰にも言えない孤独感と、このままだと死ぬというプレッシャーでどうにもならない毎日を過ごし、現実逃避に夜は飲み会ばかりで借金もどんどん増え、結果的に会社に行かなくなり、どんどん働かなくなりました。仲間と朝方まで飲んで、起きたら夕方、よしまた飲むか~、という毎日を繰り返しました。(笑)

 

開き直って死に物狂いで頑張ってみた3年目

 

3年目も、最初の半年はその状態が続きました。

いよいよどうにかしなくちゃマズイと感じ始めて、何かキッカケが無いものかと思った挙句、まずは成功されている色々な諸先輩方の話を聞きに行くことにしました。

とある先輩から、

「セールスは数字に左右されるけど、大事なのは数字を出すための日々の習慣ができているかどうか、阿部ちゃんはとりあえず働いてないんだから論外、まず働いてみて進退決めればいいやん」

「、、、、、、、、、、確かに( ゚Д゚)」

「悩むフェーズじゃねえわ、、、、、、」

「とはいえ、資金も尽きてるし、あと半年は本気で働いてみてダメだったらスパッと会社辞めよう。」という結論に至り、捨て身の覚悟で半年間仕事をやろうと決めました。

この時に根底にあったのは、こんなダメな自分でも、自分を信じて保険に加入してくれたお客さんと応援してくれる仲間がいる、「周りの人を裏切りたくない」っていうのもあったし、「ここで諦めたら後悔する」「自分に自信が持てなくなる」という気持ちがありました。なので、せめてあと半年、もう一度真面目に働いて、駄目だったら潔く辞めようと思ったんです。

でも、そこからなぜか快進撃が始まりました。(笑)

まずは周りに、「今の自分のダメな状況&もう一度頑張ろうと奮起したという状況」を正直に伝えていくために、いろんな人の元へ顔を出しに行きました。

「すいません、今まで見栄を張ってましたけど、実は今崖っぷちです。絶対借りを返すので、今力を貸してください。」

と。

そしたら周りの人がみんな、「お前、もっと早く言えや!!」と、僕を助けるべく、たくさん動いてお客さんを紹介してくれたんです。

周りの人に助けられ、結局3年目は後半の半年間だけでハワイ表彰の基準を達成しました。

締めの3月は周りの応援が嬉しくて本当に有難くて何度も泣きながら仕事をしていました。

冷静に考えると、1人の保険マンが会社の数字を追っているだけの話なんです。

それでも1か月で数十人のお客様を紹介してくれた友人や、出張に同行してくれたビジネスパートナー、締め日に大きな追加契約をしてくれた経営者のお客様が「お前に期待してるよ、絶対に成功しろよ」と応援してくれたり、自分のことのように動いてくれる方々の存在で数字を達成できた、自分にとって仕事の価値観が変わる転機になりました。

感謝のお返しでさらに成績が伸びた4年目

 

翌年(4年目)は、力まずに表彰基準を達成できるほどの売上を上げられるようになっていました。

そのときは「今の自分は周りのお陰、お金を稼がせてもらっている。絶対に周りの人に還元していかないといけない」「今度は周りを必要とされ、いざという時に助けられる男になりたい」という気持ちが仕事の原動力になっていました。

具体的に何をしていたかというと、異業種交流会を主催したり、会社経営者や個人事業主の方には仕事に繋がりそうな案件を代わりにさがしたり、お客様を直接紹介したり、業者と業者を繋いでみたり、働く社員を引っ張ってきたり、友人たちには合コン開いてって言われたら、全力で美男美女を集めて合コンを開いてみたり。

生命保険に限らず、経済や税金、資産運用の知識を付けるべく積極的にお金を払って勉強会に行ったり、詳しい専門家にアポを取って話を聞きに行ったり、専門書を読んだり、周りに喜ばれるであろう、必要であろうことを考えながら行動しました。

とにかく、目の前の人は何を求めているのだろう、何が喜ぶのだろう、と考え、周囲に還元できることを探す、やれることをやっていたんです。

すると、それを与えて喜んでくれた人がまた誰かを紹介してくれる。そうやって紹介の連鎖が生まれ、4年目も成績を伸ばすことができました。

 

その年には保険業界の上位2〜3%の人が該当するMDRT(Million Dollar Round Table)の会員資格も取得することができ、完全歩合制の報酬は前職の年収から7倍くらいになりました。(生々しい話ですが敢えて書きます。)僕はもともと稼ぎたくて転職したので、その目的を果たすことができ、社内や業界でもある程度認められるポジションに立つこともでき、以前より自分に自信を持てるようになりました。

 

マネージャーを経て、独立へ。さらなる人のために

 

その頃はマーケットも変わり、会社経営者との関わりが多くなっていました。経営者を近くで観察し、「ある程度自分を満たすことはクリアできた、次は人を育てるステージに移りたい」と思い、営業からマネージャーにキャリアチェンジしました。

マネージャーに転身し、採用自体はできていたのですが、部下に満足のいく結果を残してあげることはできませんでした。セールスとマネージメントは全く別の仕事であり、「自分が勝つのは当たり前、いかに周りの人間を勝たせられるか」がいかに大変なことなのか、マネージメント1年生の僕は失敗と試行錯誤から多くを学びました。

また、生命保険の業界を知れば知るほど、1社の商品だけで全てのお客様の要望にお応えすることは不可能だということを現場で痛感している時期でもありました。

入社当時は自社の商品が最強だと勝手に思い込んでいましたが、他社ではもっと良い商品があり、実はお客様もそれを望んでいたり、お客様本位の提案と商品を売り切るためのスキルが別のベクトルになっている違和感を持ってしまい、それもあって、純粋に社内表彰を目指すことに対しての疑問が生じ、部下にも自信を持って自社の商品の説明をすることができなくなっていきました。

この思いが、退職を決断するキッカケになりました。

 

今現在:FP(ファイナンシャルプランナー)として「お金の相談窓口」という仕事を

アベシュンヤ_プロフィール

そして、2019年9月にプルデンシャル生命を退社し、株式会社Map FINANCIALの執行役員に就任。

退職は本当に悩みました。

マネージャーとして採用した部下もいて、担当させて頂いている多くのお客様がいて、自分が退職すること=裏切りだと考えていたからです。

吹っ切れたのは仲の良かったお客様、ビジネスパートナー、先輩方に自分が考えていること、悩んでいることを思い切って話してみた時に、「辞めることで更にお客さんに良いサービスができると思っているのに、なぜすぐ決断しないんですか?阿部さんの思うこと絶対に間違ってないですよ」と背中を押されました。辞めて会社や部下やお客さんを裏切るのか?と言われると思っていたので、驚きもあり、何かが吹っ切れた瞬間でした。辞めた決断を正解にするため、更に多くのお客様に喜んでいけるように、誠実な努力をして絶対に結果を出すと決めました。

現在は今まで一社専属の保険プランナーとしてではカバーできなかったお客様に、様々な金融商品を組み合わせ、資産運用のアドバイスをするFPの仕事をしています。メインは生命保険ですが、それ以外にもお客様に合う選択肢があれば、他の金融商品を勧めることもできる、「お金の総合相談窓口」のような仕事をしています。

それ以外にも色々な企業でセミナー講師をしたり、「会社員が本業+副業で年収1,000万円になり、資産1億円を本気(ガチ)で目指すコミュニティ」も運営しており、活動も幅広くなってきました。

長くなりましたが、私がこれまでの人生で学んだことは
正解を探すではなく、選んだ道を正解にする努力をすること
自分にも他人にも誠実に、正直に
自分が得ることではなく、周囲の人にどう与えるかだけ考えて動けば、自ずと道は拓ける
です。

お客様の人生、お金を預かる仕事だからこそ責任重大ではありますが、そこにやりがいを持っています。

お客様がいて私は報酬を得ることができ、この仕事も生活もできているわけです。

言うなれば、他人の為になればなるほど、自分も豊かになれます。

これからは、より多くの人の人生を、自分の持つ金融知識で支えていく。その思いで、日々業務に励んでいます。

 

阿部峻也のちょっとした情報

会社名 株式会社Map FINANCIAL / 執行役員
生年月日 1988年11月10日生まれ
血液型 A型
出身地 岩手県盛岡市(生まれは長野県松本市)
出身校 法政大学社会学部社会学科
経歴 (新卒)タカラスタンダード株式会社ープルデンシャル生命保険株式会社ー現職
座右の銘
『小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、
大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす』
徳川将軍家 兵法指南役 柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)(柳生新陰流)
参考本
インザブラック(経営) ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集(哲学) 7つの習慣(哲学)

この記事を書いている人 - WRITER -
阿部 峻也
◆会社名 株式会社Map FINANCIAL / 執行役員
◆資格 TLC(生命保険協会認定FP)

◆生年月日 1988年11月10日生まれ
◆血液型 A型
◆出身地 岩手県盛岡市(生まれは長野県松本市)
◆出身校 法政大学社会学部社会学科
◆経歴 タカラスタンダード株式会社ープルデンシャル生命保険株式会社ー現職

◆座右の銘
『小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、 大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす』
徳川将軍家 兵法指南役 柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)(柳生新陰流)
◆参考本
インザブラック(経営)
ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集(哲学)
7つの習慣(哲学)

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