阿部峻也 / Shunya Abe のプロフィール

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 名前 阿部 峻也(アベ シュンヤ)

 会社名 株式会社マップフィナンシャル

 役職 執行役員

 会社名 プロフェッショナルラボ株式会社

 役職 取締役

 生年月日 1988年11月10日

 出身地 岩手県

 出身大学 法政大学

 経歴
(新卒)タカラスタンダード株式会社
プルデンシャル生命保険株式会社
➡現職

阿部峻也の詳細プロフィール

詳細プロフィールは こちらをクリック!

劣等感に苦しんだ子供時代

 

生まれは長野県、3歳くらいから高校卒業するまで岩手県で育ちました。

5人家族で、父はサラリーマン、母は看護師、兄と弟の三人兄弟です。

小さい頃は勉強もスポーツも得意な方でしたが、兄弟は自分以上に勉強もスポーツも得意で、常に学年トップクラス、そんな兄弟にいつも負けてばかりでずっと劣等感を抱いて過ごしていました

母の教育は厳しく、褒められた記憶より怒られた(というより怒鳴られた)記憶のほうが多かったため、常に親の目を気にしたり、自己肯定感が低い子供でした。

中学生になると反抗期に入り、不良仲間と絡むようになったり、

親と激しく喧嘩をして家出をしたり、警察のお世話になったり、ここには書けませんが悪いことも結構しました。

 

兄は県内で一番頭の良い高校に推薦入学したので、私は兄に負けたくない一心で少し無理をして同じ高校を受験するも不合格でした。

私の場合、テストの点数が良くても先生に生意気で反抗的な態度を取っていたので通信簿の成績が悪く、それが足を引っ張る結果になっていました。

浪人するか悩みましたが、周りが高校生になる中で自分だけが浪人ということに耐えられないと思い、二次募集で受験をして高校進学することにしました。

この2年後に弟は私が落ちた高校に合格しました。

兄弟が合格した高校に私だけ落ちるという現実、同じ親から生まれたのになぜ自分はいつも兄弟に負けてばかりなんだとこの時はひどく落ち込みました。

 

高校野球の経験から得たもの

 

高校受験に失敗した時、父親からこんな言葉をかけられました。

「人生思い通りにいかないこともあるが、決めた道で努力して、結果振り返った時に良かったなと思えること、選んだ道を正解にする力のほうが大切だから」

この時、父親の言葉には助けられました。

部活は小学校から続けていた野球をしたいと思って硬式野球部に、家から高校まで距離があったので、親元を離れて下宿生活をしてました。

高校生活で良い経験になったのは、野球部で自分の代に県大会優勝できたことです。

「兄弟に勝てた!」と初めて思えた出来事であり、腐らずに頑張ったらいいことあるもんだなと感じたことをよく覚えています。

 

野球では、先輩が読売ジャアンツにドラフト指名されたり、同じ中学の後輩で後にメジャーリーガーになる菊池雄星がいたり、高校の一個下の後輩が後に中日ドラゴンズにドラフト指名されて今や一軍で活躍していたりと、
後にプロの選手となる人と同じチームで野球をしていたことを振り返ると、実はとても恵まれた環境で野球をしていたんだと思います。

 

涙することになった就活

 

高校生活は野球に捧げていましたが、勉強では何とかギリギリ成績をキープできていたため、地獄のセンター試験をせず、指定校推薦で法政大学社会学部へ進学することができました。

東京六大学であれば就職には困らないだろうと思ったのと、東京に行きたかった、それだけです。

私の大学生活は、留年こそしませんでしたが仲間たちと時間が許す限り遊び呆けました。

そのため、案の定、就職活動は苦労することになりました。

兄が新卒人気企業ランキングに入るような大手企業に入社したこともあり、高年収で誰でも知ってるような会社に行けたらいいなと漠然と考えていました。典型的な大手病です。

ところが、周りの友達は就職氷河期も関係なく希望の会社の内定を勝ち取っていく中で、私は希望の会社に全落ちして取り残されました。

このときは実力不足だと理解しながらも、高校受験の不合格を思い出し、「俺はやはりこうゆう運命なのかと腐りに腐りました。

 

そしてようやく、同じく就活に苦戦していた友人から「この会社どう?一応上場してるし、まだ募集してるから受けてみよーぜ」と誘われてテキトーに受けた会社からまさかの初内定。

これが後に入社することになるタカラスタンダード株式会社ですが、確かに一部上場企業、全く興味の無い水回りの住宅設備機器メーカー、自分が目指した会社とは程遠い知名度と低い平均年収で、全く選択肢に無い会社。

この会社じゃ理想の社会人生活は送れない。

ただ、就活を続ける精神的なスタミナはとっくに切れていて、どうしようかと悩んでいた中で両親と会議することになりました。わざわざ両親が東京に来てくれ、自分でもビックリだったんですが、「こんな会社に行きたくない」と居酒屋で号泣しました。(笑)

そんな私に父親がこんな言葉を投げかけてきました。

父親「お前が行きたくない会社だろうが、今のお前では実力不足だからそこで活躍できないと思うよ、社会はそんなに甘くない。まずは社会人として結果を出してみろ!」

親の説得もあり、まずは社会人経験を積もう、それですぐ結果出して転職しよ、悔しいけど自分にはこれしか選択肢が無いと現実を受け入れて入社することを決めました。

 

最悪の社会人生活スタート

 

2011年4月、タカラスタンダード株式会社に入社。

当時は東日本大震災直後の震災バブルで受注が殺到し、社内はもうてんやわんや。

そんなタイミングで同じ営業所の先輩が退職することにあり、まだ仕事を何も知らない状態で担当を持つことになりました。すると、当然のことながらミスやトラブルを起こしまくります。

先輩も忙しいので話しかけんなオーラも全開、とはいえ前の担当も退職してるし、誰に聞いていいのかわからない、仕事はできないのにどんどん仕事が溜まっていく、結果取引先から依頼された仕事の期限を守れない。

ミスを連発して取引先の温厚そうな方から「遊びじゃねんだぞ!?」と怒鳴られたり、「もう他社に任せるんで大丈夫です」と見切られたり、どんどんお客さんが離れて売上が減っていく。

仕事を覚えた頃には仕事の依頼は激減しており、メインの得意先は担当した当初90%のシェアを占めていましたが、私に代わって2割まで減ってしまいました。

「最初だから仕方ないよ」と先輩は励ましてくれましたが、自分はこんなにも無力なのかと悔しい社会人スタートでした。

 

切羽詰まって、仕事を放置し続けた結果…

 

この時期に発注された時点で納期が間に合わないというヤバイ案件が入りました。

「これは、、、詰んでるわ」と絶望しつつ、何か打開策は無いかと考えながらも目先の仕事に追われて数日経ちました。

どんだけ考えても全く解決策が思い浮かばなかったので、「うん、これもう無理だから一回放置してたら誰か気付いて何とかやってくれるんじゃないか」と考え、その案件を放置することにしました。(笑)

すると、取引先の現場監督から電話が鳴りやまない、当たり前ですよね。

でも私は「発注書がまだ来てないんです」と、嘘を貫き通しました。

もちろん、先方も発注したという履歴が残っているし、簡単に嘘はバレました。

ただでさえ緊急事態なのに、その上で嘘をついて更に追い込まれた私は、現場監督から何度も納期確認の電話がありましたが、状況を話すのが怖くて最後は無視するようになりました。

 

すると数日後、留守電に、

「おい、これが本当に最後の連絡だからな、お前覚悟しておけよ?」

と入ってました。

「これはもうダメだ」と思った私は、ようやく全てを受け入れる覚悟を固め、その日のアポを全てキャンセルし、現場監督のいる現場に向かいました。

 

自分から行動することの大切さ

 

現場に到着して、ブン殴られるつもりで、即座に土下座をして謝りました。

すると現場監督が、

「まあ、あんだけ言われてお前よく来たな。よし、ちゃんと顔出して謝りに来たんなら許してやる。もういいよ。次同じことしたら許さないからな」

と怒りもせず、私のことを許してくれました。

現場監督が工事のスケジュール調整をしてくれて、現場はなんとか丸く収まることになります。

上司にも謝罪と報告をしたわけですが、怒られはしたものの、工場に連絡して生産スケジュールを短縮してくれたり、助けてくれました。

結果、社内外の人に同時に助けられたんです。

私は当初、誰かがなんとかしてくれるんじゃないか?と問題から逃げたし、仕事を甘く考えていました。

でも、そんなわけなく、どうにもならなくなってしまった。

問題を放置しても、誰かが気付いて助けてくれることはありません、自ら起因となって行動を起こし、なるべく小さいうちに問題解決を図ること、ネガティブな出来事こそホウレンソウを徹底すること、自分だけでやろうとせず適切に周りに頼ることなど、仕事をする上で基本となることを学びました。

 

人間関係で大切なこと

 

生意気に行きたくないと言った会社でこんな仕事ぶりじゃダサすぎる、この出来事から自分から行動を変えていこうと決めました。

生意気な新入社員でしたが、上司や先輩、取引先に自分から頭を下げて教えを請うようになり、だんだんと可愛がってくれる先輩や取引先の方ができました。

ご飯や飲み、ゴルフの誘いも絶対に断らず、仕事場以外で人間関係を作りながら社会人としての礼儀やマナーも学ぶことができました。

ビジネスマンである前に人間同士なので、まずは仲良くなってお互いの人間性を理解することが先決であり、その上でありがとう、ごめんなさい、お願いします、助けてください、などを遠回しではなく、ストレートに言い合える信頼関係を構築することが仕事をする上で最も大切だとこの時期に学びました。

新人の頃に2割まで減ったメインの取引先のシェアも、2年目には再び9割に戻すことができました。

 

稼げないことへの不満

 

社会人3年目、仕事も慣れて、売り上げも順調に伸ばしながら働いてたんですが、それでも一つ悩みがありました。

自分と周りの友達との給料の差。

毎朝7時に出社して帰りは終電くらい、土日もよく出社してたけど残業代も出ないし、手取りも安い、ボーナスも差がつかない。

大学の友人と飲んだとき、

「お前今いくら稼いでるの?」

「先月残業代入れて手取り〇〇万超えたよ」

「商社にいったアイツは数年後に年収1000万円確定だって」

「電通にいったアイツは月給〇〇万だって」

みたいな生々しい経済事情が耳に入るんです。

言葉には出さなかったですが、なんで大学で一緒にバカやってたアイツと俺にこんなに差があるんだよ、
納得いかない、
他人を羨む気持ちと自己嫌悪でいつもイライラしてました。

合コンで私は会社名を言うのが嫌で、自己紹介をする時はいつも会社名を隠していました。更に悲しいことに周りの友達もそれに合わせてくれるのですが、一人になった時にとてつもなく虚しくなります。(笑)

自分を誇れない状況を何とかしたいっていう気持ちがフツフツと煮えたぎっていました。

 

プルデンシャル生命に転職したキッカケ

 

そんな3年目に転機が訪れます。

当時、社内で一番尊敬して慕っていた先輩に、プルデンシャル生命のスカウトからヘッドハンティングのオファーが来て、その懇親会の席に僕も同席することになりました。

そのとき、自分が身を置く業界とは異なり、外資系金融というモテそうな業界で、高級なスーツを着て自信満々な立ち振る舞いでバリバリ働く真逆の世界を知り、鮮烈な衝撃を受けました。

スカウト「阿部ちゃんの年収を月収でもらっている人なんてうちにはザラにいるよ」

私は、平然とした顔でそうなんですね!と言いつつ、

内心「やべえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!( ゚Д゚)」となっていました。

今の会社にいたら部長になってもそれは無理、そのスカウトの方の全ての話が衝撃と落胆の連続でした。

そして、悔しい一言を放たれることになります。

スカウト「阿部ちゃんが今不満タラタラでなんとなく仕事してるなら、一生そんな(中途半端な)人生になるよ」

この言葉が自分の胸に突き刺さりました。不満ばかり言ってて何もできてない自分はださいな、と思いました。

それからプルデンシャル生命のことが頭から離れなくなり、時間があればプルデンシャル生命のことを調べ、この会社で働きたくなった私は、スカウトの方にお願いしてなんとか面接を受けさせてもらい、合格。

プルデンシャル生命は本来ヘッドハンティングでの転職となりますが、私の場合は自ら希望して入社する珍しいパターンで、【志願兵】と言います。(笑)

しかし、これが現在の仕事につながる、大きな転機になりました。

ちなみによく「なんで保険を?」と聞かれますが、生命保険の仕事がやりたいわけではなかったです。

自分に自信を持ちたい、格好良い男になりたい、大げさですが、これまでの人生や生き方自体を変えたかったんです。

 

順調に上手くいった1年目

※プルデンシャル転職後すぐ

 

入社して一ヶ月の研修を経て、生命保険の営業が始まりました。

「あ、もしもし?実は保険会社に転職してさ、保険の話を聞いてほしいんだよね。」

電話帳のあ行から全て、今までの知り合い全員に電話でアポを取っていきます。

知り合いから始まり、紹介で顧客を広げていく紹介営業というビジネスモデルがプルデンシャルの方針です。

これまで友達だった人にいきなり営業の電話をするわけなので、お腹が痛くなるくらいの緊張とストレスを感じました。「ちょうど保険考えてたんだよね」とか「お前も大変だろうから話だけなら聞くよ」と快い返事をしてくれる人もいれば、

「久々に連絡してきたと思ったら保険の営業?二度と連絡してこないで!」「お前は周りを売るのか?」とグサっとくる言葉を浴びせてくる人もいます。

【自分の大切な人から保障をお預かりしなさい】という会社のマニュアルを信じて営業に出るのですが、やはり身内へ営業することは大変なストレスで、何人にも断られて、一体何のために転職したんだろうかと考えることもあったり、悔し泣きすることもありました。

それでも、仲間、前職の同期や先輩後輩、前職の取引先にも恵まれていたので、初月は当時の支社のギネス記録を更新して契約45件、1年目は成績優秀者が行けるハワイ表彰も決まりました。

 

※初めてハワイ表彰を受けた時

 

プルデンシャルでは年間表彰基準を満たした人間がハワイで表彰されるんですが、営業社員約4000名の中で上位10~15%くらいです。

完全歩合制ということでトップ営業マンは年収1~2億円を軽く超え、下位は年収0~100万円前後、月収で1000万円を超える方もいれば、月収1桁万円の人もいるという天地の差がある世界です。毎年ハワイ表彰に行ければ、年収2000~3000万円は軽く超えます。

 

転職1年目はその表彰行けたので、順調なスタートを切ったといえる状況でした。

ただ、スキルも余裕もない私は攻め一辺倒の営業や紹介依頼をしていたので、いろんな人と連絡が取れなくなりました。

保険屋さんがイメージ悪いとされる最も典型的なことをしてしまっていました

連絡が取れない人に何度も執拗に電話する、勝手に紹介先に連絡しちゃう、何時間もクロージングをする、周りが見えていないから馬鹿みたいにゴリゴリやり過ぎて、当然契約になってもお客様の満足度や安心感は低いため、紹介なんて一切出ません。

それだけでなく、契約して頂いたお客様とも連絡が取れなくなり、クーリングオフや短期解約になることもありました。

転職1年目で年収は1000万円を超えていたので調子に乗って散財したりと、恥ずかしいことに自分のお金の管理も甘く、人と会うためなら時間もお金も惜しまないというスタンスで毎日飲み会して多めに出したり、経費も重くのしかかってくるようになりました。次第に見込の案件も枯渇し、活動資金も底を尽き始め、地獄の2年目を迎えることになります。

 

成績不振で会社にも行けなくなった2年目

※一見忙しそうだが、iPadの画面見ると予定スカスカ、見込み客がいなくて困っている時期(笑)

2年目には商談相手も、電話のかけ先もなくなってしまったんです。

一週間の予定を埋めたいのに埋まらない

紹介が欲しいのに全く紹介が出ない、

紹介を依頼しすぎて嫌がられる

契約が欲しいのに商談相手には断られてしまう、

結果、稼ぎたくても稼げない

毎日が負の連鎖で、この頃に白髪の量が尋常じゃなく増えました。(笑)

 

プルデンシャルでは、当時1週間に3件の契約を取り続けたらあなたは成功する!という【3W=SUCCESS(成功)】という社内文化があり、新人は至上命題。

でも、商談相手もいないから契約0件の週がだんだん多くなる、週末はマネージャーから「今週は3Wどうする?なんか作戦ある?それとも諦める?」的な電話があり、なかなか諦めますと言えないのでプレッシャーとストレスが半端じゃなかったです。

また、月曜日のミーティングで全員の前で先週の成果報告をするのですが、「3件です!」と契約があれば皆から拍手喝采ですが、「0件です!」って言うとシーンってなるんです。(笑)

2年目のシーズンはそのシーンって屈辱を、1年の大半は味わっていました。

もちろん、目標にしていたハワイ表彰も達成できず。

 

プルデンシャルは最初の2年間が研修期間で、その後は完全歩合制。
売れている人だったら2年間の売上に対してボーナスが溜まっていき、2年満了時点で一気にポンと吐き出されます。人によって数百万円〜数千万円までの額になり、皆これをモチベーションにして頑張ります。

でも、僕の2年目の成績は散々。社内システムで来月以降の報酬がどれくらいなのかシュミレーションが見れるのですが、

ん!?あれ、、、!?ボーナス全然無い!!

しかも、当時マネージャーからは、

マネージャー「入社2年連続でハワイ表彰行けないやつは数年以内にみんな退職してるんだよね、
阿部ちゃんまだ若いから2年連続でハワイ行けなかったら早く見切りをつけてこの仕事を辞めたほうやめたほうがいいよ」

と入社時に言われていたので、就活の時なんかよりはるかに鬱でした。

1年目はハワイ表彰もされてフェイスブックにも自慢げに投稿して、周りから「阿部すごい!!成功してるやん!!」と言われていい気になっていましたし、外資系金融をはき違えて格好だけ一人前になっていた私は高級スーツにブランドネクタイをして、周りからは転職成功して、めちゃくちゃ儲かってる人間に見えていたと思います。(笑)

見栄も張ってこのヤバイ状況を誰にも言えない孤独感、このままだと死ぬというプレッシャーでどうにもならない毎日を過ごし、現実逃避に夜は飲み会ばかりでクレジットカードで借金も作り、結果的に仕事からも会社からも自分を遠ざけるようになりました。

仲間と朝方まで飲んで、帰って目覚ましも付けないで寝て、起きたら夕方、仕事も無いし、また飲むか、という憂鬱な毎日を繰り返しました。

誰かと飲むことが見込客発見=仕事だと周りにも自分にも強がって言い聞かせていることもありましたが、本当は何にもならないこともわかっていました。

その時の私はそれくらいお先真っ暗でした。

 

開き直って死に物狂いで頑張ってみた3年目

 

3年目に入ってもその状態がダラダラと続きました。

この頃は社内のミーティングや研修もよくサボってて、相変わらず朝方まで飲んでは夕方起きるような生活で、ほぼ鬱病だったと思います。

お金も底を尽きてきたために、現実逃避であまり見ることもしなかった報酬シュミレーションを恐る恐る見ると
来月、再来月と30、20、10万円と綺麗に報酬が右肩下がり、ついに
前職の収入も下回るのか~と更に絶望しました。

もうさすがにどうにかしなくちゃマズイと感じ始めて、キッカケ探しを始めました。

内心ボロボロの私は僅かでも奮起できる、希望が欲しかったんだと思います。

その中で、ある方とお話をする機会がありました。

その方は元プルデンシャルの保険プランナーで、私が知り合った時には既にプルデンシャルを退職して保険代理店の役員をやっていました。プルデンシャルに在籍してた時は日本一の支社、営業所に所属しており、毎年表彰受けるような高挙績者だったので社内じゃ有名人で、私は一方的に名前だけ知ってて少し憧れていた方でもありました。

おそらく成績が振るわず退職予備軍だった私をスカウトしようとしたんだと思います。

とはいえ、憧れの方だったので、何か得られるのではないかと思って、現状を正直に打ち明けて相談してみようと思ったんです。

その先輩は私の話を真剣に聞いてくださり、一切スカウトの話はせず、こう言ってくれました。

「セールスは数字にモチベーションを左右されちゃうけど、大事なのは数字を出すための日々の習慣ができているかどうかじゃん。阿部ちゃんはとりあえず働いてないんだから論外だよ。まずしっかり働いて、その結果で進退決めればいいじゃん。話してる感じ、阿部ちゃんは力あるからしっかり考えてやったら売れると思うけどね。なんか勿体無いなあ。」

この言葉にハッとさせられました。

確かに今の俺、頑張っていない、、、、働いてないのに悩んでる場合じゃない!!

でも、貯金も底を尽きてるし、、、、ならば半年本気で働いてみてダメだったらスパッとこの業界を去ろう。

根底にあったのは、自分を信用して保険に加入してくれたお客さん、応援してくれる仲間がいるその人たちを裏切りたくないし、ここで中途半端に諦めたら一生後悔して、二度と自信が持てなくなるので、泥水すする覚悟で本気で取り組んでみてその結果ダメだったら皆に謝って辞めよう

という気持ちだけでした。

このような結論に至り、捨て身の覚悟で半年間仕事をやろうと決めました。

 

しかし、ここから復活劇が始まりました。

先輩にアドバイスされた通り、自分が確実に実行できる範囲で細かい行動予定と目標を立て、確実にやり通しました。

数字(売上)は一切気にしない、そして周りの目や声も気にしない、というよりどうでも良くなっていました。

見込客もいない私が具体的に何をしたかというと、周りに今の自分のダメな状況と、もう一度頑張ろうと奮起したという状況を正直に伝えるため、いろんな人の元へ顔を出しに行きました。

会って本気で伝えてみたら、周りの人がみんな真剣に話を聞いてくれました。

そして、「お前、困ってたんかい!もっと早く言えや!」「わかった、任せろ、何すればいい?」と、たくさん動いてお客さんを紹介してくれたんです。

社内では結果を出し続けている先輩に頭を下げて、先輩の家に泊まり込みでロープレ合宿とかもしてもらいました。

だんだんと暇ではなくなり、どんどん仕事が増えていき、次第に契約も増えていき、

ん?あれ?もしかして表彰も狙える?というところまできていました。

心の中で表彰が狙えるかもしれないという淡い期待と、正直果たして俺にできるのか?という不安とが交錯していました。

でも、もともと退職寸前だった自分は失うもの無いんだから勝負してみよう、と思った私は社内のミーティングで「絶対に表彰を達成します」と宣言し、周りの仲間達やお客様にも宣言し、あえて周りからの注目を浴びることで完全に退路を断って、自分を追い込みました。

すると、さらに応援の紹介が増えていき、結局3年目は後半の数か月でハワイ表彰の基準を達成しました。

奇跡的なエピソードがたくさんあります。

冷静に考えると、1人の保険屋が会社の数字を追っているだけの話で、何も特別なことはないはず。

それでも、
1か月で数十人のお客様を紹介してくれた友人
もしきつかったら俺のとこに契約書持って来いと言ってくれた先輩
自分の仕事を休んで、遠くの出張にわざわざ同行してくれたビジネスパートナー
締め日に大きな追加契約をしてくれた経営者のお客様からは、

「この仕事でお前は成功できると信じてるから、必ず結果出してくれよな」

と応援してくれました。

自分のことのように動いてくれる方々の存在で数字を達成できた、自分にとって仕事の価値観が変わる転機になりました。

 

感謝のお返しでさらに成績が伸びた4年目

 

翌年(4年目)は、力まずに表彰基準を達成できるほどの売上を上げるようになっていました。

そのときは、

自分の力でなく、周りのお陰でお金を稼がせてもらっている

こんだけ周りに助けて頂いて、お客さまや周りの人に還元していかないといけない

今度は誰かが困った時に必要とされ、与えられる男になりたい

という気持ちが仕事の原動力になっていました。

具体的に何をしていたかというと、
異業種交流会を主催したり、
会社経営者や個人事業主の方には仕事に繋がりそうな案件を代わりにさがしたり、
お客様を直接紹介したり、
業者と業者を繋いでみたり、
働く社員を引っ張ってきたり、

友人たちには合コン開いてって言われたら、全力で美男美女を集めて合コンを開いてみたり。

生命保険に限らず、
経済や税金、資産運用の知識を付けるべく積極的にお金を払って勉強会に行ったり、
詳しい専門家にアポを取って話を聞きに行ったり、
専門書を読んだり、

とにかく、目の前の人は何を求めているのだろう、何が喜ぶのだろう、と考え、周囲に還元できることを探す、やれることを全力でやっていたんです。

すると、それを与えて喜んでくれた人が御礼にまた誰かを紹介してくれる、そうやって紹介の連鎖が生まれ、4年目も成績を伸ばすことができました。

その年には保険業界の上位2〜3%の人が該当するMDRT(Million Dollar Round Table)の会員資格も取得することができ、完全歩合制の報酬は前職の年収から7倍くらいになりました。

生々しい話ですが敢えて書くのは、私はもともと周りとの経済差を埋めたくて、稼ぎたくて転職したからです。【世の中のために】とか【周りのために】とかそんな大義も無く、自分のために転職したのは事実です。

経済差を埋めるというのは、兄弟や周りの同級生と比較してしまう【自分の劣等感や自信の無さを払拭したかった】そのためにはシンプルに仕事で結果を出して稼ぐことしか当時の自分には選択肢が無かったんです。

でも、周りのお陰で目的は果たすことができ、社内や業界でもある程度認められるポジションに立つこともできたことで、自分に自信を持てるようになり、周りと比較することが全く無くなりました。

この経験で、仕事をする上でのモチベーションも「自分のため」から「周りにどう与えるか」に変わりました。

 

マネージャーを経て、独立へ。さらなる人のために

 

この頃は会社経営者との関わりが多くなっていました。

経営者を近くで観察し、自分のことではなく他人(従業員)に責任や愛情を持つことができる人間になりたいと憧れを持ち、ある程度自分を満たすことはクリアできた、次は人を育てるステージに移りたいと思い、支社長に直談判して営業からマネージャーにキャリアチェンジしました。

就任当初からマネージャーとして採用自体はできていたのですが、自分が採用した部下に満足のいく結果を残してあげることはできませんでした。

セールスとマネージメントは全く別の仕事、【自分が勝つのは当たり前にできてもいかに周りの人間を勝たせられるか】がどれだけ大変なことなのか、マネージメント1年生の僕は失敗と試行錯誤から多くを学びました。

自分が採用した部下が表彰を逃し、自分だけがマネージャー部門で表彰されたのですが、全く喜べず、むしろ悔しさしかなくてハワイ表彰を辞退しました。社内で表彰を辞退する人ほぼいないので、賛否両論あって若干炎上しましたが、「お前らしい決断だな」と言ってくれる先輩の声に報われました。

他人のことでここまで本気になり、自分のこと以上に期待して成功してほしいと思えば思うほど高いものを求めてしまったり、悔しい思いや悲しい思いをしたのも初めての経験で、「どうやったら人は変わるのか」この頃は外部でお金を払ってコーチングなどを勉強しました。

 

部下が結果を出さないとマネージャーも報酬を得ることができないため、報酬ダウンによる税金の恐怖などからマネージメントをしながら自分も現場に出て部下と同行して商談をサポートしたり、単独で営業活動をやったりして現場を完全に離れることはありませんでした。

生命保険の業界を知れば知るほど、1社専属の立場でお客様の全ての要望にお応えすることは不可能だということを現場で痛感している時期でもありました。入社当初は自社の商品が最強だと思い込んでいましたが、他社ではもっと内容の良い商品があったり、保険以外でも良い資産形成の方法があることを知っていく時期でもあり、自分の中での保険観が明らかに変わってきていました。

実はお客様からも、

「担当が大事なのは分かるんですが、他社とこんなに金額差があると考えますね、、、」

「阿部さん他社の商品も扱えないんですか?」

「保険以外の資産運用も教えてほしいです」

と言われる場面も出てきました。

今までは社内表彰を受けるため、自分が稼ぐことがモチベーションとなっていたのですが、この頃はその気持ちが無くなってきており、お客様や周りの人にとって最善は何か、プルデンシャルが全てではない、と価値観が変わってきていました。

そのため、純粋に社内表彰を目指すことに対して疑問や葛藤が生じたり、部下にも自信を持って自社の商品の説明をすることができなくなっていきました。

この思いが、退職を決断するキッカケになりました。

 

今現在:FP(ファイナンシャルプランナー)として「お金の相談窓口」という仕事を

 

2019年9月にプルデンシャル生命を退社し、株式会社マップフィナンシャルの執行役員に就任。

プルデンシャルを退職するかどうか、本当に悩みました。私はマネージャーとして採用した部下もいて、担当させて頂いている多くのお客様がいて、自分が退職することは、応援してくれた【周りやお客様への裏切り】だと考えていたからです。

吹っ切れたのは仲の良かったお客様に相談した時に、

「辞めたほうが更にお客さんに良いサービスができると思ってるんですよね?じゃあ、なぜすぐ決断しないんですか?阿部さんの考えてることは絶対に間違ってないです、応援します。これからもずっと担当だと思ってるので宜しくお願いします」

と言われたことです。

会社や部下やお客さんを裏切るのか?と言われると思っていたので、驚きもあり、嬉しさもありました。

保険代理店に移籍すると、前職批判をする人が多いですが、私はプルデンシャルという会社に心底感謝しています。当時社会人3年目の24歳で、実績も無い若造でした。そんな私に挑戦の場を与えて頂き、語れないほど多くの失敗をして、多くを学び、多くのご縁があり、間違いなくプルデンシャルへの転職を決断したことが人生のターニングポイントになったと思うからです。

 

現在は今まで一社専属の保険プランナーとしてではカバーできなかったお客様に、

【様々な金融商品を組み合わせ、資産運用のアドバイスをするFPの仕事】

をしています。

メインは生命保険ですが、それ以外にもお客様に合う選択肢があれば、他の金融商品を勧めることもできる、
【お金の総合相談窓口】のような立ち位置を目指しています。

 

代理店の立場となり、2020年、2021年とMDRT基準を約3か月で達成することができ、プルデンシャル時代に売上げた自己ベストを2倍以上も上回る結果を出すことができています。

昨年コロナという大きな出来事がありましたが、周りのアドバイスのおかげもあってスムーズにオンラインに切り替えたことも大きかったと思いますが、何より当時の保険しか知らなかった自分より、今の自分のほうが絶対にお客様の役に立てるという自信があります。

 

個別のご相談以外にも、仕事の幅は格段に広がってきました。

色々な企業でセミナー講師をさせて頂いたり、保険以外のビジネスとしてプロフェッショナルラボ株式会社という会社を起業して取締役に就任、フリーランスの税務や社会保険などのコンサルティングをしております。

自分の決断が正解だったと思うように今度も志高く誠実に仕事をしていきたいと思います。

 

長くなりましたが、私がこれまでの人生で学んだことは、

正解を探すのではなく、自分が選んだ道を正解にする努力をすること

自分にも他人にも誠実に真正面から向き合う

自分が得ることではなく、周囲の人にどう与えるかだけ考えて動くこと

です。

お客様の人生やお金を預かる仕事だからこそ責任重大ではありますが真剣に向き合う仕事だらこそやりがいを感じていますし、自分に向いてる仕事だと感じています。

お客様がいてこそ私は報酬を得ることができ、この仕事も生活も続けられるわけで、この仕事は、他人の為になればなるほど、自分も豊かになれます。これからも、より多くの人の人生を自分の持つ金融知識で支えていく、その思いで日々業務に励んでいます。

 

阿部峻也のちょっとした情報

生年月日 1988年11月10日
血液型 A型
出身地 岩手県
出身大学 法政大学社会学部社会学科
経歴 (新卒)タカラスタンダード株式会社
→プルデンシャル生命保険株式会社
現職
株式会社マップフィナンシャル 執行役員
株式会社アドレス 代表取締役
プロフェッショナルラボ株式会社 取締役
座右の銘
小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす
徳川将軍家 兵法指南役 柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)(柳生新陰流)
参考本
ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集(哲学) / 石角完爾

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